東海バドミントン連盟強化練習 in Nusa Mahsuri
2011年12月22日〜26日
於 ミスボン・プライベート体育館
スランゴール州ゴンバ町ユーケープルダナ
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12月26日(Nusa Photo)
さて、最終日である。新聞にはミスボンの記事が連日掲載されていた。どうも内容は、1年間ミスボンの指導を受けてないリー・チョンウェイは最近勝てなくなった。ロンドン五輪に赤信号が点滅しはじめた。ミスボンに協会に戻ってほしいとの内容だったようだ。 Kelana Jayaの体育館では土日の2日間かけて大会が開催されていた。主催者ミスボンはその大会には表彰式のみ参加し、それ以外はここでの指導を優先した。大会を終え、代役の弟ラフマン・シデクが月曜日体育館に顔を出した。
ミスボンの説明は熱い。この熱さがバドミントン王国マレーシアを支えている。そして、彼の影響を受けた選手は、トッププレイヤーへの道を辿る。 実演に次男ラムダン
ミスボン・オン・ステージのようになったが、それもいいこと。ヌサの指導者たちは彼のスタイルを真似るのだ。サリムしかり、イズワンしかりである。ヨーロッパで日本でミスボン式指導は再現されている。
世界ジュニアチャンプを育てたサリムですら、生徒の列に並びミスボンの言葉を聴く。(サリムは総合的に見て今現在世界一の指導者の一人だと私は思っている。
一人一人に終了証を授与 マレーシア流のあいさつで閉会式終わり。
記念撮影
4日間に及ぶ練習の写真とビデオは、マレーシア・ヌサマハスリのFacebookに掲載されていた。それを抜粋してアップしたのがこのページ。

 強化練習期間中のマレーシアの新聞のスポーツ面を、アテンドしていた留学生が撮影していた。連日ミスボンとリー・チョンウェイの関係が記事になっていた。
『師よ、私を助けて!』 『私は助けることはできない』
見出しの意味はこんなところか。2011年当初マレーシアバドミントン協会は、ミスボンをチョンウェイのコーチから外した。二人三脚でロンドン五輪の金を目指していた師弟にとって、驚きの人事であった。ミスボンはその人事が不服で協会の役職を断った。
そのころ、テレビの討論番組が連日行われ、『ミスボン抜きのマレーシアバドミントン協会はどうなる?』と議論されていた。
 最近チョンウェイが勝てなくなっている。チョンウェイを救えるのは師ミスボンだけだとマスコミが騒いでいるのだ。
『ミスボンの指導を期待』

 
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