プロチームヌサマハスリとは
 通常どの国でも、コーチは指導に、プレイヤーはプレーに専念し結果を出していく。それゆえ、プレイヤーは現役時代には指導することはほとんどなく、引退をした後、その現役時代の経験を生かしてコーチへの道に進んでいくのがよく見られる。
 ヌサマハスリのプレイヤーは違う。彼らはプレイヤーとしてプレーをしながら、同時に指導もしていくコーチでもある。そのあたりが他の国にはあまり例を見ない。
 2004年現在、コーチであるミスボン=シデク、ラーマン=シデクが、ロスリン、ハフィズ、サリムといった現役国際選手を早朝指導する。その指導のやり方をそのまま、次の時間帯には、現役国際選手が、マレーシアの次代を担うジュニア選手や一般の受講生を指導する。受講生は、世界の舞台で活躍する選手から直接指導を受けれ、また、ともにゲームもしてくれる。スター選手が手取り足取り教えてくれるのに満足しない人はいない。
 サリムが2004年愛媛に2ヶ月滞在し指導を行った。私達を驚かせたのは現役バリバリの若い選手でありながら、ノック技術の高さ、指導のうまさにであった。県内のすべてのベテラン指導者をもうらなせた彼の指導術は、これぞプロコーチと言わしめたほどだ。サリムだけではない、スター選手であるロスリン=ハシムも全英チャンピオン ハフィズ=ハシムもやはりサリム同様コーチとしての指導術に長けている。
 このあたりが、ヌサマハスリの選手と、他の選手との違いである。
 上図にヌサマハスリの図式を描いてみた。
 図には描いていないが、ヌサマハスリはヨネックスと契約をしており、一丸となってヨネックスの企業イメージアップのために献身的に努力している。
 例として、2004年愛媛の指導に当たったサリムなど、滞在期間中ヨネックスの宣伝に努め、自分の着用するラケット・ウエアーはもちろんのこと、愛媛の協会やクラブにヨネックスシャトル使用を指導の条件としていたほどの徹底ぶりであった。
 さて、図では、メーカー契約以外の主な活動と関係を示してみた。
 ヌサマハスリ事務所(事業部)は、テレビ放映用のアニメ『シデク兄弟』の製作、週刊誌『シデク兄弟』の製作・販売を行ってる。そのほか、選手の派遣手続き、講習会企画、対外的な交渉などを行っている。
 コーチ陣は、元国際選手であった有名人で構成されており、専属選手、一般受講者、ジュニアの指導にあたっている。専属選手は、コーチから技術指導、コーチングの指導を受ける。そして、ジュニアや受講生に技術指導を行っている。専属選手が現役を引退するとコーチ陣に加わることになる。2004年現在、ロスリンが現役選手からコーチ陣への移動の最中である。
ミスボンの存在感
 シデク兄弟の長男ミスボンの存在は偉大である。マレーシアにおける国民的英雄であり、首相の次に有名人とまで言われ、知らない人はいないほどの知名度である。
 ヌサマハスリの方針イコール彼の考え方であり、彼の決定事項は絶対的とまで言える。また彼は、その面倒見の良さ、指導の厳しさ、有言実行の行動力、統率力において目を見張るものがある。
 彼は2004年現在マレーシアナショナルチームのシンルグスコーチも務め、毎日指導に通っている。ここでもかれらしさを発揮し、最近めきめきと腕をあげてきているリー=チョンウェイもミスボンの厳しい監視の目があればこそなのである。5年間で世界を取ると豪語したミスボンは、その実現に向けてナショナルチームの選手、ヌサマハスリに選手に叱咤を飛ばす。
 ミスボンが、サリムを愛媛に派遣した際、サリムに与えた任務は「愛媛のバドミントンのレベルアップとラケットショップハマナカのお手伝い」であった。彼はその言葉を胸に刻み、21歳の若さで、気が緩むことなく、ちゃんと務め上げた。滞在期間中、定期的にミスボンに連絡をとり、報告は欠かさず、またアドバイスや命令を受けていた。どこに居てもミスボンの指令は絶対的なのである。

『愛媛のレベルアップとラケットショップハマナカのサポート』
2004年サリムの任務