福岡と愛媛から夏休み強化練習
(2008/8/18〜8/31)
 今回は珍しく夏休みのマレーシア行きとなった。最近の燃料サーチャージ急騰により、世は海外旅行敬遠ぎみとなり、いつもは満席で切符が取るのが難しい夏休みでも、希望通りの旅程が取れたのは幸いであった。
 今回の参加者は、レベルは高くはないが、やる気だけで集まった選手たちだけであった。社会人24歳の小谷君、中学生高瀬君(以上福岡)と、ラケットショップハマナカのあたら君22歳、社会人の権田君21歳(以上愛媛)の4名となった。
 期間は、オリンピックのバドミントン競技終了後の8月18日〜31日の約2週間。
 すでに、ミスボンが指導するリー=チョンウェイが男子単で準優勝した直後で、しばらくはチョンウェイもミスボンもイベント参加で忙しいことは予測していたが、まあ、まもなく練習をはじめるだろうと思い込んでいた。しかし、実際は、帰国直後に国からの表彰式と多額な報奨金を受け取り、その後はチョンウェイの故郷であるペナン州政府も表彰を行うということで、ミスボン共々ペナン州へ行った。さらに、州政府はこのときとばかりチョンウェイのプレーを披露するための州政府主催のバドミントン教室を開催し、帰るどころか逆にヌサの専属コーチのラフマン、ズルファリ、リザルまでも動員されてしまった。ヌサのコーチ陣の大半がペナン州へ大移動したのだった。この1週間は、残ったドニーコーチひとりが、主に日本人4名と、パキスタンナショナルチームメンバー5名をコーチングすることになった。突然ミスボンから電話があり、私の帰国予定を聞いてきた。「毎日、新聞やテレビで状況は知ってるよ。ペナンで忙しいだろうからいいよ。」と答えておいたが、「予定都合つけてクアラに行くから。」とミスボン。金曜日突然電話がかかってきた。「今、クアラに帰ってきたんだけど、ホテルに会いに行く」とミスボン。私はKLCCに外出中だったので、結局KLCCで会うことにした。選手4人はその日は私と別行動でショッピングをしていて連絡がつかなかった。結局私、ミスボン、事務局長ロスタム、ズルファリコーチの4人でKLCCで会い話をした。その後、選手たちに会いたいというので、4人でホテルに帰り、選手たちの帰りを待つことにした。選手たちには、サプライズなミスボンとの出会いとなった。
 私が帰国をしたのは8月24日日曜日のこと、それから先は選手4人だけが残って練習することになった。
 その後ミスボン一行は、次の日早朝またペナンに戻り日曜日午後まで居たようだ。そして、月曜日ミスボンとチョンウェイはクアラのナショナルチームへ顔見せに来たようだ。選手たちは1週間ぶっ続けで厳しいノックに耐え抜いて、日曜には動きが重くなっていたので、月曜日だけ練習休みとして、休養を取らせた。このときとばかり、小谷君にはナショナルチームの練習見学に行かせた。ちょうど1日だけ帰ってきたミスボンとチョンウェイの練習をみることができたようだ。チョンウェイは火曜日にはまたペナンにもどった。チョンウェイは州政府からDatukの称号を授与されたのである。ミスボンはあとの1週間はペナンに行かずに都合をつけてヌサの練習に顔を出そうと行っていたのだが、日曜日のニュースでこんどはミスボンがマラッカ州政府からDatukの称号を授与されるとのニュースが流れた。これではミスボンは練習どころではない。ミスボンはマラッカへと旅立ったのだ。
 ミスボンとヌサコーチ陣にとっては、たいへんな2週間だった。ただ、選手たちは熱心に指導するドニーコーチからたっぷり指導を受けたので練習効果は上がったと思える。さて、写真を見ていこう。

空港から高速列車でクアラルンプルのホテルへ 練習初日早朝のKelanaJaya駅のバス停で
T624番バスに乗る ズルファリコーチのゼスチャー交じりのアドバイス。選手たちはもう少し英語力が必要。
ジュニアへアドバイスするドニーコーチ ヌサ練習風景
手投げノックをするリザル。権田、あたら。 小谷、高瀬。
練習後は近くの湖のほとりで疲れを癒しながら食事。ズルファリコーチ。 食事後バス停で待つ4人
KLセントラル駅で乗り換えの電車を待つ。国鉄KTMの電車はなかなか来ない。 ホテル近くの風景、国立モスクの尖塔が目立つ。パサルスニ駅から撮影。
ホテルをバックに。小谷、あたら、権田。 このホテルは旧クアラルンプル駅なのである
ビルに囲まれたクアラルンプルの名称の発祥地であるマスジド=ジャメを臨む。 マスジド=ジャメ
マスジド=ジャメ駅の風景。カラフルなスカーフの女性たち。 ジャラニ=シデク経営のレストラン(1階)と2階3階はロスタムが居るヌサマハスリ事務所。今回も時間をみて挨拶にいった。
ヌサマハスリ事務所最寄のティティワンサ駅 ドニーコーチと小谷君
レディース(家庭婦人)を指導するドニーコーチ。家庭婦人にも人気がある。 用意してきた飲料水がなくなり、飲み物を買う。あたら、高瀬、体育館管理人のおじさん。
スコールに見舞われて、高速道路下で雨宿りのめんめん。 国立博物館にミスボン兄弟を描いた英雄画を見に来たが一部改装中で見れず。雨宿り。
シデク体育館前で記念撮影。権田、あたら、小谷。高瀬君はホテルにて宿題中。 館内。築100年近いこの体育館は名勝負が多数行われた歴史ある体育館だ。マレーシアにくれば必ず訪れなくてはならない体育館である。シデク氏と息子たちの偉業を称えて、シデク氏没後2007年7月22日『シデク体育館』と改名された。
アリーナ入口には在りし日のシデク氏の写真が飾ってあった。「ありがとう、おとうさん」とつい言ってしまう私であった。 チャイナタウン散策
ホテル内部 1週間で帰国する私を空港まで見送ってくれたあたらと小谷君。クアラルンプル国際空港にて。
これから先は選手4人であと一週間の練習しなければならない。その後選手たちは気合を入れて練習をしたとの報告を聞いている。