ミスボンから見た北京五輪
 北京オリンピックは、男子シングルス決勝で林丹がリー チョンウェイを一方的に破り閉幕した。
 この結果をどう見るのかは、人それぞれであろう。
 過去勝ったり負けたりの両者、今回に限っては過去例のないほどの一方的な負け方でチョンウェイのふがいなさを批判する者も多い。マレーシアのメダル獲得数をみれば、チョンウェイのもたらした銀メダル1個だけということもあり、批判よりはメダルを獲得したヒーローとして扱う記事が多かった。テレビのコメンテーターは、チョンウェイへの国民からの期待の大きさがプレッシャーとなり、決勝では彼本来のプレーができていなかったとも言っていた。私もミスボンとチョンウェイの2人3脚を見てきているので、当初この結果はいただけないと思っていた。
 北京のバドミントン競技が終わって私はマレーシアを1週間の予定で訪問した。ちょうど、銀メダルを携え凱旋帰国をしたチョンウェイとミスボンが帰国したのと同じ日の到着となった。その後、次々と用意された凱旋セレモニー、首相訪問、チョンウェイの出身地ペナン州の凱旋報告、賞金受給、称号授与セレモニー、州の準備した凱旋バドミントン教室などミスボンもチョンウェイも多忙な日々の連続であった。その多忙な中を押して、ミスボンは私に会いに来てくれた。そして、彼の目から見た北京オリンピックを、余すところなく、その心の内を明かしてくれた。常にマスコミを意識したり、直接利害関係にあるマレーシアバドミントン関係者を意識して語っている彼にとって、私との語らいは本心からリラックスして語れる唯一の相手なのかもしれない。実は、私以外にも個人的に仲良しのヌサマハスリ事務局長ロスタムももちろん本心で話せる相手ではある。今回はミスボン、ロスタム、私の3人でしゃべっている訳だから、いかに気軽に話せるメンバーだけが集まっているかは想像つくだろう。

 北京オリンピックの組み合わせが発表された時点で、どのような戦いが繰り広げられるかは、当然予測ができる。誰が勝ちあがり、チョンウェイが誰に苦戦するのか、また、本番までどのような練習を積んでいかなければならないかは、ミスボンが一番知っている。私の予測もロスタムの予測もおおよそ同じだったと思われる。

1回戦:対ロナルド スシロ(シンガポール)戦
 スシロは、前回のアテネオリンピック1回戦で優勝候補林丹を破る番狂わせを起こした選手で、不気味な存在に写った。今大会でもしもチョンウェイを食うことがあれば、それこそ『優勝候補キラー』の名が定着することになる。大会直前までスパーリングパートナーを続けたサリム=サメオンにこのカードの予測を聞いたところ、スシロに負ける要素は何もないと断言していた。また、アキレス腱断裂復帰後スシロは低迷していたので、チョンウェイの敵ではなかった。結果は21,21-13,14で番狂わせは無かった。

準々決勝:対ソニー=クンチョロ(インドネシア)戦。
 私は決勝に行くまでの一番の山はクンチョロ戦だと思っていた。クンチョロは、感心するような戦術(テクティック)、高度な技術(テクニック)は持っていないものの、体力とスピードはスバ抜けており、流れ次第では充分チョンウェイに勝てる。チョンウェイにとってはいやな相手である。ミスボンもずっと気にしていたと語っている。
 対戦当日朝、ミスボンとチョンウェイが食事に行っていると、クンチョロがジョギングで一汗ながしているのを見た。対戦するのは夜のこと充分時間があったのだが、「さあ、今日は早めに作った方がいいかなあ」とミスボンがチョンウェイに言うと、「時間が充分あるので。。。」とチョンウェイ。その後、部屋に帰ったのだが、チョンウェイは、ミスボンに対する受け答えが非礼だと思ったのか、「すみません。先ほどはあんなこと言ったのですが、どうすればいいでしょう。」と、ミスボンに電話をかけてきた。早速昼の時間に、ミスボンとチョンウェイでシャトルを使って練習を開始した。それを見たクンチョロは、慌てたようにラケットを持ってきて練習を開始した。すると、ミスボンとチョンウェイは練習から引き揚げ部屋に帰った。夕方もミスボンとチョンウェイははやめに練習を開始したら、クンチョロは遅れじとまたしてもハードな練習を開始した。
 練習を朝からはじめることからクンチョロの気負いを読み取ったミスボンは、昼、夕方も早く練習をはじめ、焦らせておいて、そそくさと練習から引き上げるということを繰り返し、精神的主導権を握ったのである。
 また、ミスボンが言うに、チョンウェイという選手は日ごろより10教えたら9マスターするまじめな青年だそうだ。10までできないところが、彼らしいところではあるが、コーチの言うことに素直に従ってくれるところは評価している。
 ここでは、コートに立った時には精神的にも肉体的にもアップが完了し、ラブオールプレイで完璧な仕上がりであってほしかったため、クンチョロのやる気を見せることにより、チョンウェイから緊張感を引き出させるミスボンの作戦でもあった。同時にクンチョロには、精神的主導権を握ることにより焦りを生じさせ、また、必要以上にアップをさせることによってコンディション調整に狂いを生じさせるという作戦でもあった。
 蓋をあけてみれば、最も怖いクンチョロを21,21-9,11であっさり破った。点数では開きが出たが、一瞬たりとも気を抜かなかったチョンウェイの緊張感と、自分のゲームが最後までできなかったクンチョロのはがゆさが想像できると思う。

準決勝;対イー=ヒョンイル(韓国)戦
 ここも予想通りイー=ヒョンイルがバオ=チュンライを破りベスト4に勝ち上がってきた。このところイーは、戦績を上げてきており、怖い存在であった。韓国のコーチとなったリー=マオの影響は大きい。リー=マオは韓国に来る前マレーシアでコーチをしており、ある期間チョンウェイを指導していたこともあり、チョンウェイはリー=マオからスイングにおいて大きな影響を受けており、ミスボンもそのことは認めている。また、考えようによれば、リー=マオはチョンウェイ対策も知っているということでもある。しかし、バドミントン王国マレーシアのエース リー=チョンウェイが、韓国のイーに負けるわけにはいかない。コーチをするミスボンも、イーにだけは負けさせたくないというのは当然のことだろう。結果は、21,13,21-18,21,13とファイナルはチョンウェイが逃げ切ったことになったが、途中チョンウェイが追いつかれたという場面もあり、きわどいゲームであった。
 ミスボンは、チョンウェイをリン=ダンに勝たせて優勝させることを目標としたならば、チョンウェイにパワー強化中心の練習をさせただろうが、実際は、第1目標を銀メダル獲得に置いていたと明かした。つまり、クンチョロとイーを対戦相手と想定して練習を積んでいたのだ。ミスボンは、「もしも優勝を狙っていたら、メダルも取れなかったかもしれない」と明かした。銀に終わった結果を自分に納得させるために言った言葉なのか、本心なのかそれはわからないが、練習時にリン=ダン対策としてのパワー強化を充分にしなかったのは、本当に銀を狙いにいったものと想像ができる。

決勝:対リン=ダン(中国)戦
 チョンウェイとリン=ダンの最近の対戦は、勝ったり負けたりである。というか、勝った後は負け、負けた後は勝ちと交互に勝ち負けが入れ替わっていた感じがある。その順番でいくとリン=ダンの勝ちの番であった。しかし、要はそんな簡単なものではなく、コーチたちの研究と対策の結果がたまたまそのように表れてきたものと思われる。
 今大会で、リン=ダンは想像をはるかに超えたパワー強化をしてきた上、相手を威嚇するほどの威圧感をコートの外でも表していたようだった。優勝のみを取りにきたのである。
 一方ミスボンはリン=ダンのパワー強化を予測していたにもかかわらず、それに対抗するだけの策を講じてなかった。10教えれば9マスターするチョンウェイを知っているなら勝つためには13教えて11マスターさせなければリン=ダンに勝てるわけはない。もちろん決勝進出が決まってから慌てて1日でリン=ダン対策の練習をやっても追いつけるものではない。
 この際、作戦として、クンチョロやリー対策で練習してきたものに磨きをかけて、自分の良いものを出せ、ペースに引きずりこまれないようにしなければならなかったと思う。
 結果は、21,21-12,8と惨憺たるものだった。
 チョンウェイは、パワーで決めにかかろうとしたのだが、ことごとくはじき返され、一方的な展開となってしまったのだ。チョンウェイの想像をはるかに超えるリン=ダンのパワーと逆襲に、チョンウェイは自分のいいものを出せずに終わってしまったのだ。さらに、ムキになると自分を失うというチョンウェイの隠れた弱点もこの対戦ではあらわれてしまい最悪の流れとなってしまったのだ。